その2・・・ヤフーニュース・・・

ヤフーニュース抜粋・・・ 次代のF1候補生“岩佐歩夢” 第3回:F1を志したのは2年前。その裏にある“本当の目標” レーシングドライバーを目指す少年少女の多くが目指す舞台、それがモータースポーツ最高峰とも言えるF1だ。19歳の岩佐歩夢もF1を目指して海外で戦う若武者のひとりであり、今F1に最も近い位置にいる日本人ドライバーと言っても過言ではないが、彼の青写真はその先、そのずっと先まで描かれている。 家族が自動車関係の仕事をしていたという岩佐は、モータースポーツが身近にある環境で育った。父親がメンテナンスするカートでレースに参戦したり、小学生の頃から“ハコ車”をサーキットで走らせていたという岩佐がプロのレーシングドライバーを志したのは、意外にもカートを卒業する1、2年前。それも、当時は明確に“F1”という夢を持っていた訳ではなかったという。 「カートを始めた頃はプロを意識していませんでした。プロになりたいと思い始めたのはカートをやめる1、2年前からです。その時はF1ドライバーというよりもプロのドライバーになりたいという感じでしたが、そこから徐々にF1ドライバーになりたいというような明確な目標に変わっていきました」 「正直、F1は元々あまり好きではありませんでした。もちろん嫌いでもなかったですけど、興味を持って見ていたわけではないですね。どちらかというスーパーGTやスーパーフォーミュラを見ていました」  そんな岩佐が、なぜF1を志すようになったのか? その転機となったのは2019年。岩佐が鈴鹿レーシングスクール・フォーミュラ(SRS-F)を受講する傍ら、スーパーFJに参戦していた年だ。なおこの年、岩佐はスーパーFJ日本一決定戦のファイナルで優勝。SRS-Fでもスカラシップを獲得し、この実績が翌年のフランスF4挑戦に繋がることとなる。 「F1という目標に変わったのは最近でして……」と岩佐は切り出した。 「スクール(SRS-F)にいて、スーパーFJに参戦していた2019年です。それまではFIA F4やアジアン・フォーミュラルノーにスポットで参戦したりしていました。ただ、家庭の事情、資金的な事情で、レースをしていくのが厳しいという状況になりました」 「その時に助けていただいたのがルーニースポーツの方々でした。そのおかげで2019年にスーパーFJに参戦させていただき、それと並行してSRSに通ってスカラシップをとることができ、今の自分がいます。もちろんルーニースポーツの方々だけでなく色んな方々に支えられながらレースを続けられています」 「自分が将来……本当に先の先の話ですが、ドライバーをサポートしたり、育てていける人間になりたいというのが本当の大きな目標です。その目標への一番の近道となるのがF1ドライバーなのかな、というところから、F1ドライバーになりたいという目標になりました」 「もちろん、先の先の話だと思います。それまでF1ドライバーになってワールドチャンピオンを獲り、長くトップドライバーでい続けることが大事だと思います」  そんな岩佐は2020年、支えてくれた“恩人”達の期待に応えるかのように、フランスF4で圧倒的な速さを見せてチャンピオンを獲得。その走りがレッドブルジュニアチームの目に留まり、2021年はレッドブル育成ドライバーの一員としてFIA F3にフル参戦することが決まるなど、F1に向けて順調にステップアップしている。  岩佐は今後レッドブルの支援を受けながら、FIA F2そしてF1へのステップアップを目指していくことになる。これは今季アルファタウリからF1デビューを果たした角田裕毅が辿ったのと同じルートだ。レッドブルジュニアの“先輩”でもある角田がデビュー戦で見せたパフォーマンスは、岩佐にとっても刺激になったようだ。  現在F1で活躍中の角田、そしてF1を目指して戦う岩佐以降の世代には、日本人ドライバーとしてF1の表彰台の頂点に立ち、表彰式で君が代を流すことを期待せずにはいられない。これまで幾多の日本人ドライバーがF1の世界で奮闘したが、優勝は未だに誰も成し遂げられていない。  自分が日本人初のF1ウイナーになってみせる……そんな思いはあるかと尋ねられた岩佐は、はにかみつつもこう答えた。 「やはり、F1で日本の国旗を表彰台の真ん中であげて国歌を流すのは大きな目標です。ただ僕が真っ先にそれをする、というのはあまり考えていなくて、角田選手が達成していただければそれは嬉しいです」