F1で世界一になったホンダが、ライバルにバレても「あえて」特許を取ったワケ・・・
ホンダにとってF1の最終シーズンとなった2021年。レッドブル・ホンダは、前半戦で強さを発揮するも王者メルセデスの逆襲に遭う。だが、この窮地をホンダの内製バッテリーで脱し、最終戦までもつれたドライバーズチャンピオンを獲得した。元ホンダ技術者がバッテリー開発の狙いと同社の未来を語る。本稿は、浅木泰昭『危機を乗り越える力 ホンダF1を世界一に導いた技術者のどん底からの挑戦』(集英社インターナショナル)の一部を抜粋・編集したものです。 勝機をつかんだ鍵は、ホンダ内製のバッテリー ホンダにとって最後のシーズンとなった2021年、レッドブル・ホンダは前半戦で強さを発揮していましたが、中盤のイギリスGPぐらいから流れが変わり始めました。王者メルセデスが逆襲してきたのです。彼らが何を改善してきたのかはわかりませんが、明らかに使える電気エネルギーの量が増えていました。 後半戦に入るとメルセデスは優勢に戦いを進め、レッドブル・ホンダとのポイント差を徐々に詰めてきました。攻勢を強めるメルセデス勢に対して大きな武器になったのは夏休み明けの第12戦ベルギーGPから投入したホンダ内製のバッテリーでした。このおかげでなんとかタイトル争いを最終戦まで持ち込み、フェルスタッペン選手が最終ラップで逆転してドライバーズチャンピオンを獲得することができました。 ホンダはもともと第4期活動を始めたときにパートナーを組んだマクラーレンが紹介してくれた海外のバッテリーサプライヤーにお世話になっていました。でも将来のことを考えると、バッテリーの技術を自分たちの手の内に入れておかないとまずいと思っていたので、内製化を進めました。 それに内製化しないと蜘蛛の糸(編集部注/ホンダのF1復帰の際に、若いエンジニアの居場所を確保すべく著者が水面下で動こうと決断し、これを「蜘蛛の糸作戦」と自らが命名)がつながらないと思っていました。 自分たちでバッテリーをつくることができないと、新しいパワーユニットのレギュレーションが導入される2026年から事実上、再参戦できません。新レギュレーションではカーボンニュートラル燃料の使用が義務づけられると同時に、バッテリーからの電気エネルギーの比率が現在の20%から50%に引き上げられます。高性能のバッテリー開発とそのマネージメント技術が勝利への鍵になるのは間違いないので、その意味でも開発を急ぎました。 F1で培った技術がホンダの さまざまな分野で活かせる さらに、高出力のバッテリーを内製化すれば、ホンダが開発する電気自動車だけでなく、「空飛ぶクルマ」と呼ばれるeVTOL(電動垂直離着陸機)やロケットの開発にもつながります。 量産車の部門でもバッテリーの開発はできますが、F1とは開発スピードがまるで違います。「F1は、ホンダが目指すカーボンニュートラル社会を実現するための環境技術を磨くのに効率がいい」と経営陣を説得するためにも、バッテリーの内製化は外せませんでした。 F1で自社開発したバッテリーの技術は特許を取得しました。普通、レースではライバルに何をしているのかバレてしまうので、特許は取りません。それでもあえてそうした理由は、F1で培ったバッテリーの技術やノウハウをホンダの将来技術に結びつけたいという思惑があったからです。 新しいバッテリーの鍵になったのは、炭素原子が筒状につながったカーボンナノチューブという素材です。電極に電気を伝えやすいカーボンナノチューブを採用することで、電気抵抗だけでなく、発熱も減ります。発熱したら冷却が必要になるためエネルギーを無駄に捨てることになります。発熱しなければ使える電気の量は一気に増え、冷却の問題もなくなり、一石二鳥です。 電気自動車のバッテリーは、電気を長時間出力することが求められます。航続距離を延ばすには大容量のバッテリーが必要ですが、そのためには電気が熱エネルギーに変わらないほうがいいのです。 eVTOLやロケットは瞬間的に大量の電流を流して高出力を出さなければならないので、エネルギーのロスはもっと切実です。F1で培った技術で開発した新バッテリーは、ホンダが研究開発しているさまざまな分野で活かすことができるはずです。 世界で売る新車をすべて 電気自動車と燃料電池車に カーボンニュートラル燃料にも同じことがいえます。ホンダが開発する航空機ホンダジェットにしても将来、燃料をどうするのかという問題は避けて通ることができません。ホンダは2024年には世界で売る新車をすべて電気自動車と燃料電池車にするという目標を掲げています。でも大陸間を移動するような航空機が全部バッテリーで空を飛べるようになるとは思えません。F1で使用しているカーボンニュートラル燃料の技術がホンダジェットの未来に必ず役立つだろうと私は考えています。 そういうことをさまざまなメディアで話しましたが、それもすべて蜘蛛の糸作戦です。F1に復帰しやすいストーリーを考え、社内と世の中の雰囲気を変えていくという目的を達成するためです。そこは結構、うまくいったと思っています。 私は周りの状況を俯瞰しながら、ストーリーを組むことが得意なんだと思います。蜘蛛の糸作戦を成功させるために、どういうストーリーだったらホンダがF1に復帰しやすくなるかというのは常に頭にありました。それに経営陣がF1復帰を考え始めたときには、彼らが役員や株主などを納得させるためのストーリーが必要になると思っていました。 F1や量産車の開発は、組織の垣根を越えて、いろんな人が関わっています。リーダーとして数多くのスタッフを束ねて動かしていくためには、このストーリーをつくる能力は必要不可欠だと思います。 技術者にはヒーローになってほしい・・・ 私は第4期のF1プロジェクトでは、部下や協力してくれた人間のモチベーションを上げるために積極的にメディアに出ました。ストーリーをつくってメディアが伝えやすいような話題を提供し、技術者をヒーロー(主役)にしていきました。これは簡単なことではありませんでしたが、多くの技術者がメディアに取り上げられ、彼らの仕事に向き合う姿勢も大きく変わったと思います。 技術者がヒーローになることはなかなかありません。新車発表会のときに開発責任者のLPL(編集部注/Large Project Leader=ホンダの役職の1つ)が表に出ることはありますが、それ以外で技術者が取り上げられることはほとんどないのです。 カーボンニュートラル燃料を開発した本田技術研究所の橋本公太郎は能力的には大学で学者になれるような人間で、実際に彼は学会では知られた存在です。でも世に名前が出る機会は少ないので、F1のタイトル獲得に貢献したという取材を受けて喜んでいました。 私がホンダに入社しようと思ったのは、技術者がヒーローになれそうな会社だと感じたからです。そういう思いでホンダに入社してきた私としては、技術者はみんなヒーローになってほしいという気持ちがありました。 注目度の高いF1だからこそ、技術者たちがヒーローになれたと思いますが、ホンダという企業は本田宗一郎さんが創業したときから技術者が主役となって会社を牽引し、成長してきました。そういう意味でも技術者が主役になれるF1は、今でもホンダにとってとても重要な挑戦だと私は思っています。